2012年12月2日日曜日

人格権

このブログの全ては、風評や浮き名への「逆リバース」にある。「ネガティブ情報流されたら、ポジティブ情報大量に流し返せ!」というネット上のしきたりに従った迄の事。

憲法11条13条から導き出される「人格権」の権利として、「ひとりでソッとしておいてもらう権利」がある。 個人の自己責任原則のひとつ。私はこれを果敢に猛然と強く激しく求める。 自己責任原則を貫徹すると、この権利が導き出される。

日本では、付き合いたくもないのに、「ぬくもり」とか「ふれあい」なんて、 薄気味悪く気持ちも悪く、強く激しく固辞遠慮する。 「人情」とか「情け」とかは、女々しく子供みたいで、人との関わりやつながりなんて、産業廃棄物みたいに処理に厄介。田舎者、落ち零れ、奇人・変人、問題作のデモしか教師(しくじり先生)ほど、いつまでも関わりを保ちたがる。何故なら彼らには「変化・成長・進歩・学習効果」が全くない。「いつまでもあの時と変わらないアナタで居て」というおんなの尻に敷かれている。とにかくこの民族は、自分と隣りを、ひたすら比べて、やたら人を気にする。迷惑この上ない事しきり。いつかは分かり合えるものだとでも思っているかの如く。お口クチュクチュとペコペコと、ご挨拶がお得意ですネ?

方や行政との厄介な接点も、極めて数少なく減らす工夫が必要。国家の国民への介入は、最小限度に抑える。新らしい権利の下では、これは云える。マキャベリズムな行政なんて、国民や住民から裏切られるのが、仕事。行政委員は無報酬の慈善事業。何ら大きな権限は付与されていない。私は小さな政府論者です。自分の事は自分で片付けられる。何か言い掛かりをつけようと、国や地方の政策だとか云って騒ぎ立てる理由を探して、行政との関わりと介入はヤメていただきたい。事務管理しているだけの官公庁には廃庁していただく。

何故かように考えるかは、「私の個人主義」夏目 漱石 に明らかなるところだ。古傷をなめ合って思い出に浸りきって、言い掛かり合う旧友らなんて、処理に厄介な産業廃棄物。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。